僕が勤務する会社の倉庫には、屋根裏部屋がある。そこも倉庫として使われ、めったに使われないものが置かれている。
誰も読まなくなった本も。
ある日、探し物があり、その屋根裏部屋に上った。
古い本の中に、1冊だけ、黄ばんだ背表紙が飛び出していた。
Mikuniの文字が目に飛び込んだ。
学生時代、いくつかのバイトをした。その1つがフランス料理店でのウェイターだった。
地方出身の一人暮らしの学生としては、ご飯つきがなによりの魅力だった。
しかしそれだけではなかった。
多くの事をそこで学んだ。
洗い物以外は入ることのできない調理場。シェフを頭に見事な職人のヒエラルキーの世界。ウェイター、ウェイトレスの先輩には、その道のプロとして、日本中を渡り歩いている人はおろか、アメリカ人もいる。湘南暴走族あがり?の先輩もいた。
本業は学生の分際の僕らウェイター、ウェイトレスも、最後には料理好き、サービス好きなメンバーが残った。
みな、そこで、料理やサービスを一生懸命学び、実践した。もはや、単なるバイトではなかった。
仕事の実力をつけるとともに時給も上がり、最後には時給1100円になったと言えば、その内容もわかっていただけると思う。
同年代のかわいい女の子といっしょに働けるだけでも、実は満足だったけど。
その後、
ある後輩は、フランス、アメリカと料理人としての修行を終え、4月から銀座のロオジエで腕を振るっている。
ある先輩は、料理人さんと結婚して、念願のお店:プチ クラルテを持った。
そんなメンバーばかりの刺激的な職場。仕事を終えると、終電までのわずかな時間を気にしながらも、駅近くのショットバーや立ち飲み屋で色々な話をした。
そんな中で、この本の三国清三氏は、熊谷喜八氏らとともに、フランス料理に携わる僕らの憧れの人として、話題にあがっていた。
そんな熱い思い出が、どかどかとよみがえり、薄暗い倉庫の屋根裏部屋でページを開いた。
すごい本を見つけてしまった。僕に見つけられるために、そこにあったのだとも思った。三国清三氏のレシピブック。
誰かに教えてあげたい。でも、こういう本のすごさをわかってくれる人ってあまりいないことも知っていた。ましてや、家に持って帰ったところで・・・。
あっ!そうだ。久保田光一さんに見せよう。と、思っていたら、
海外向けのメニュー撮影で来社。なんてタイミングの良い人だ。
すかさず、この本を持参。
撮影の合間に
「すごいの、見つけちゃったんですよ。」と僕
「うわぁ、何、これ?」
(お、きたきた。食いついた。)
「皿の上に、僕がある。って、すごいでしょ?」
「かっこいいねぇー」
「ここまで、言い切るのがすごいですよね。」
(興味深々で表紙をめくった。しめしめ。)
「いきなり、この写真か」
「荒々しいねぇ。ごつごつしてるね。しかもモノクロ」
「そうなんですよ。メニューレシピの本とは思えないですよね。三国さんの出身地、北海道増毛の写真なんですって。」
「メニュー写真もいいね。それに三国さんのコメントも。」
「全部、同じ真っ白な皿、真上からの撮影なんですよ。」
「すごいね。じゃぁ、ごまかしなしの料理で勝負だ。」
「料理人としてはね。でも、カメラマンも真上から撮っているのに、立体感をだしてる。」
「それに、後ろのこれがすごいね。」
「そう、惜しげもなく、全部のレシピを載せてるんですよ。すごい、自信ですよね。」
(さらに、ページをめくっていく。
)
「こういう記念写真見せられると、どんな写真を撮ってもかなわいね。」
「そうですか?」
「その時のその人を記録してるし、たとえ、お父さんがスナップで撮った家族の記念写真でもね。」
(しかもこの写真、モノクロのせいか、土門拳の撮る写真のように、床の間、座布団、二人の手、画面にある全てを、二度と撮れないその時の全てを撮ろうというカメラマンの気持ちがあらわれているような。)

「しかも、これ、1986年。20年前の本なんですよ。すごいですよね。そのころ、こんな構成、こんなメニュー、こんな写真を残した人たちがいたんですよ。」
「あぁ。この人の写真だったんだ。・・・・」
こういう、なんともいえない気持ちの良い会話。
刺激的な会話
と
「つまらない会話」
って何が違うのだろう?
単なるお互いの興味の違い?
だけなのだろうか?
相手のコミュニケーション能力の違い?
こう答えて欲しい、反応して欲しい。
それをわかってくれて、答えてくれる。と、心地よい。
そっと、同意して欲しい時、実は反論して欲しい時。
同調して欲しい時、異論を唱えて欲しい時。
もっとしゃべらせて欲しい時、本当は聞きたい時。
でも、それだけではない。
僕の望む答えを知りつつ、
ほんの少しはずして答え方が違ったり、
思っていた返事と切り口が違ったり、
するととても刺激的。
会話が通じない。は、論外だが。
通じているのに、感情を読んでくれない人だと・・・。
剣道で「間合い」という言葉がある。
自分と相手の距離。自分の攻撃が一撃で届く距離は、相手からの攻撃も届く距離。
でも、そこに入らないと打てない。
その距離、「間合い」を詰めたり離したりの攻防が続く。
そんな感じ、そんな会話、そんなコミニュケーションが刺激的。
三国清三氏は、20年を超えて、「本」という媒体を使って、僕の間合いに入り込んできた。
それも、すごいスルドサで。
これも、
「本」を出すという、時代を、そして場面を超えたコミュニケーションの方法の一つなのかもしれない。
「皿の上に、僕がある。」と言うほどの自信はないが、
僕の場合、
「これが僕です。僕の全てです。」
と、相手に全てをさらけだしてしまうことが多い。それも簡単に。
そして、
どう付き合っていただけるのか、あとはお任せします。
といった、自分勝手なコミュニケーションのとり方をすることが、これまでの僕には多かった。(酔っても酔わなくても、服でも何でも脱ぐし・・・。)
先日、ひとつ歳をとった事だし、
そろそろ、相手にも刺激的な人として、僕自身がもう少し成長していかないと・・・。
求めるだけの側から、与える側にもならないと。
料理学校を出て入社2年目のハタチそこそこの女の子に、この本が見つかってしまった。
「この本、ください。」
(わぁ。若いのに、この本の良さわかるんだ!)
「だめ。俺がもらったから・・・。」
まだまだ、これはあげれません。
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